さぁ、今回の雑学小辞典、テーマはジャズです。いつものようにジャズの世界を掘って掘って・・、深掘りしますよ。
作家の村上春樹さんはジャズの愛好家で知られています。村上直樹さんは長編「ノルウエーの森」を1,000万部(上下巻)という驚異的なベストセラーを書き、ノーベル文学賞に何度もノミネートされている方です。
早稲田大学の文学部に入学してからはロクに登校せず、ジャズ喫茶に入り浸り。挙句はジャズ喫茶の従業員からついには国分寺駅近くでジャズ喫茶を開店してマスターになってしまいました。その時から買いためたレコード盤は3,000枚以上所持しているんだとか。
おやおや?今回は村上春樹さんではなくテーマは『ジャズ~Jazz』でしたね。
さっそく「ジャズの世界」にご案内しましょう。
タモリさんは大変なジャズファンなのよ。ジャズ・ロックの評論家だった植草甚一さんの秘蔵のコレクションだったジャズ・レコード約4,000枚を買い取ったそうよ。
ジャズの世界を深掘りしよう!~Mixed Race
まず手始めにジャズの誕生した時代を振り返ってみましょう。
ジャズは19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ルイジアナ州ニューオーリンズ(黒人コミュニティ)で生まれました。ジャズは、次のようなさまざまな音楽の伝統が融合して発展しました。
・アフリカ系アメリカ人の霊歌と労働歌
・ブルース
・ラグタイム
・ブラスバンド音楽
・ヨーロッパのクラシック
アフリカ系アメリカ人、クレオール人、ヨーロッパからの移民が住むニューオーリンズのユニークな文化のるつぼは、これらの音楽スタイルが混ざり合い、現在私たちがジャズと認識しているものに進化するのに最適な環境を提供しました。
ラグタイムは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカで流行した音楽ジャンルで、黒人音楽に強い影響を受けています。このジャンルは、シンコペーションと呼ばれるリズムの強調が特徴で、スコット・ジョプリンなどの有名な演奏家によって広まりました。ラグタイムは即興性は少なく、作曲された楽譜に基づいて演奏されることが一般的です。
クレオール人? ジャズに関わった大事なポイント
クレオール人(Creole people)とは、(アメリカ人とかフランス人ということではなく)特定の地域や文化に深く根付いた人々を指す言葉です。
クレオール文化は異なる民族や文化が融合し、独自の文化や言語を形成したものです。クレオール人は、そのような融合の結果として生まれた人々を指します。
例えば、カリブ海地域やアメリカ南部の一部では、アフリカ系、ヨーロッパ系、インディアンなどの異なる文化が混ざり合い、クレオール文化が発展しました。クレオール人は、このような多様な背景を持つ人々です。
クレオール文化は、音楽、料理、言語など、さまざまな面で独自の特徴を持っています。例えば、ルイジアナ州のクレオール料理は、フランス、スペイン、アフリカ、インディアンの影響を受けています。
クレオール人という概念は、単に人種や民族に限らず、文化的なアイデンティティや歴史的背景を強調するものです。クレオール文化は、多様性と融合の象徴とも言えます。
草創期のジャズ~ブルーノートスケール
初期のジャズの主な特徴には、即興、シンコペーションのリズム、および「ブルー・ノート・スケール」の使用がありました。
この音楽は、1910 年代から 1920 年代にかけて、ニューオーリンズから米国の他の地域、特にシカゴとニューヨークに広まり、ジャズ時代へとつながりました。
ブルーノートとはジャズ音楽の感情的な深みを加えるために使用される音符です。この技法は、ジャズの草創期において、特にブルースの影響を受けたジャズスタイルで重要な役割を果たしました。ブルーノートがあったおかげでジャズの表現力が豊かになったのです。
語源を辿ってみると楽しくなるね
「ジャズ(JAZZ)」という言葉の語源については、明確な結論がないものの、いくつかの説が提唱されています。ジャズが誕生した20世紀初頭のアメリカで使われていたスラングや俗語に由来する可能性が高いというのが現代の主流です。以下はいくつかの有力な説です。
「ジャズ」という言葉は、もともと20世紀初頭にアメリカ南部で「情熱」や「エネルギー」を意味するスラングとして使われていたとされています。
特に、性エネルギーを指す言葉であり、音楽のリズムやエネルギッシュな表現に関連づけられて、ジャズという音楽ジャンルに転用されたと考えられます。
「ジャズ」という言葉は、強烈でエネルギッシュな音楽を表現するために使われたという説もあります。
当時の黒人音楽には、リズムとエネルギーが強調されており、「ジャズ」という言葉がその音楽の雰囲気やスタイルを象徴するものとなった可能性があります。
一部の研究者は、「ジャズ」という言葉が「ジャスミン(Jasmine)」に関連していると主張しています。
特に、ニューオリンズの娼婦たちがジャスミンの香水を好んで使っていたため、それがスラングとして音楽と結びついた可能性があるとされています。
「ジャズ」という言葉が初めて記録されたのは、1912年の新聞記事で、野球選手が使った言葉として登場しています。
選手たちは、「ジャズ」という言葉を「活気」や「エネルギー」を表すために使っていたとされ、これが音楽に転用された可能性もあります。
以上のように、「ジャズ」の語源は明確ではなく、多様な文化的背景や歴史が交錯して形成されたものと考えられていますが、エネルギーや情熱を意味するスラングとして使われたことが音楽の名称に繋がった可能性が高いようですね。
ニューオーリンズはジャズの伝統を紡いでいる スポンサーリンク
ジャズが誕生した19世紀末のニューオーリンズは、多様な文化が交錯する活気ある港町でした。
奴隷として連れてこられた黒人たちと、黒人と白人の混血であるクレオールの人々が、それぞれの音楽を持ち寄り、ジャズという新しい音楽スタイルを生み出しました。
この音楽は、アフリカの伝統音楽、ブルース、ラグタイムピアノなどから影響を受け、独自のリズムとメロディを持つジャンルとして発展しました。
ニューオーリンズは、その豊かなジャズの伝統を祝うために、現在でもいくつかのイベントや伝統を守り続けています。
- ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテージ・フェスティバル:
一般に「ジャズ・フェスト」として知られるこのフェスティバルは、1970年から毎年開催されている。通常4月下旬から5月上旬にかけて開催され、ジャズ、ブルース、R&B、ロック、フォークなど、さまざまなジャンルの音楽が披露されます。 - フレンチ・クォーター・フェスティバル(French Quarter Festival):
毎年4月に開催される無料のフェスティバル。 - プリザベーション・ホール :
1961年に設立されたこの歴史的なジャズライブハウスでは、伝統的なニューオリンズ・ジャズを守りながら、毎晩ジャズ演奏が行われています。 - セカンド・ライン・パレード:
この伝統的なブラスバンドのパレードは、特に日曜日に定期的に行われ、ニューオーリンズ文化の不可欠な一部となっています。 - ジャズ・イン・ザ・パーク:
春と秋にアームストロング公園で開催される、地元のジャズミュージシャンをフィーチャーした無料コンサートシリーズ。 - サッチモ・サマーフェスト:
ニューオーリンズで最も有名なジャズ・ミュージシャンの一人、ルイ・アームストロングの生涯と音楽を讃えるために毎年8月に開催されるフェスティバル。 - ジャズ国立歴史公園:
1994年に設立されたこの国立公園では、毎日ジャズの生演奏やジャズの歴史についての教育プログラムが行われています。 - 伝統的なジャズクラブ:
スナッグ・ハーバー、スポッテッド・キャット、パームコート・ジャズ・カフェなどでは、定期的にジャズ演奏が行われています。
ニューオーリンズには法で規制してなくてもジャズの生演奏をサポートし、祝福する一種の不文律があるのよ。多くのレストラン、バー、ホテルが定期的にジャズの生演奏を行い、伝統を守り続けているのね。いかにもジャズ発祥の地だというプライドなんだわ。
ジャズで世界に知られたミュージシャン
人並みにジャズ好きの筆者が、黎明期以降に世界に知られたジャズ・ミュージシャンを7人挙げるとこんな感じになります。
ジャズの歴史において、草創期から世界的に名を馳せたミュージシャンは数多くいます。以下は、ジャズの発展に大きな影響を与えた代表的な7人のミュージシャンです。
ルイ・アームストロング (Louis Armstrong)
- トランペット奏者、ボーカリスト
- ルイ・アームストロングは、ジャズの初期における最も影響力のあるミュージシャンの一人です。彼の卓越したトランペット演奏と独特の歌唱スタイルは、ジャズの発展に大きな影響を与えました。特にスウィングのリズムと即興演奏のスタイルで知られています。
デューク・エリントン (Duke Ellington)
- ピアニスト、作曲家、バンドリーダー
- デューク・エリントンは、ジャズを芸術の域にまで高めた人物として知られています。彼の楽曲は非常に多様で、ジャズの形式を超えてクラシック音楽や他のジャンルにも影響を与えました。エリントン楽団を率い、数多くの名曲を生み出しました。
チャーリー・パーカー (Charlie Parker)
- アルトサックス奏者
- チャーリー・パーカーはビバップの先駆者であり、即興演奏の技術を飛躍的に向上させました。彼の速いテンポで複雑な即興は、後のジャズミュージシャンに大きな影響を与えました。彼は「バード」の愛称で知られています。
マイルス・デイヴィス (Miles Davis)
- トランペット奏者、バンドリーダー
- マイルス・デイヴィスは、クールジャズ、ハードバップ、モードジャズ、さらにはフュージョンなど、数多くのジャズスタイルを牽引した革新者です。彼のアルバム『Kind of Blue』は、ジャズの歴史において最も影響力のある作品の一つとされています。
マイルス・デイヴィスはジャズの多くのスタイルに影響を与えました。ビバップ、クール・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、クロスオーバー、フュージョンなど、彼の音楽は幅広いジャンルに及びます。
ジョン・コルトレーン (John Coltrane)
- テナーサックス奏者
- ジョン・コルトレーンは、革新的なテナーサックス奏者であり、特にモーダルジャズやアヴァンギャルドジャズの発展に大きな影響を与えました。彼の演奏はスピリチュアルで情熱的であり、特にアルバム『A Love Supreme』はジャズの金字塔とされています。
ビリー・ホリデイ (Billie Holiday)
- ジャズボーカリスト
- ビリー・ホリデイは、ジャズのボーカリストとしての表現力を飛躍的に向上させた歌手です。彼女の独特な歌唱スタイルと、感情豊かな歌詞の表現は、後のボーカリストに大きな影響を与えました。代表曲に「Strange Fruit」などがあります。
セロニアス・モンク (Thelonious Monk)
- ピアニスト、作曲家
- セロニアス・モンクは、ビバップの形成に寄与し、斬新でユニークな作曲と演奏スタイルで知られています。彼の音楽は不協和音や予期しないリズムを駆使しており、ジャズの枠を超えた個性的なサウンドを持っています。彼の作品は多くのジャズミュージシャンに影響を与え続けています。
ジャズファンならどなたも良く知っている面々ですね。
これらのミュージシャンは、ジャズの草創期から現代に至るまで、音楽のスタイルや方向性を形作ってきた重要な人物です。
黎明期から現代まで~ジャズの歴史の流れ
ジャズの歴史は、20世紀初頭の1910年代にアメリカ・ニューオリンズで誕生したとされています。
この時期、黒人音楽の伝統であるブルースやラグタイム、ゴスペルなどが融合し、新たな音楽ジャンルが生まれました。
ジャズは初めて大きな注目を集め、特にルイ・アームストロングらが活躍した1920年代には「ジャズ・エイジ」と呼ばれるほど社会に広がりました。
1930年代から1940年代にかけては、ビッグバンドによるスウィングジャズが流行しました。
デューク・エリントンやベニー・グッドマンらが人気を博し、ジャズはアメリカのダンスミュージックとして定着しました。
しかし、第二次世界大戦後にはスウィングの商業的な流行が衰え、より複雑な即興性を追求するビバップが登場。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーがこのスタイルを牽引しました。
1950年代から1960年代にかけて、ジャズはさらなる多様化を遂げました。
マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンらが活躍し、モードジャズやフリージャズといった新たなスタイルが誕生しました。
この時期、ジャズはアメリカ国内だけでなく、ヨーロッパや日本など世界中に広がり、国際的な音楽ジャンルとなります。
1970年代には、ジャズとロックを融合したジャズ・フュージョンが登場し、エレクトリック楽器を用いた音楽が人気を博しました。以降、ジャズは多様なスタイルを持ちながら、今日に至るまで進化を続けています。現在では、伝統的なジャズからアヴァンギャルドなスタイルまで、多くのアーティストが自由な表現を追求し、世界中で愛されています。
それほどジャズ・プレイヤーにとって日本は重要なジャズ・マーケットだったのです。
日本にジャズ・ミュージシャンとして来日したアメリカ人はベニー・グッドマン楽団で活躍したドラマーのジーン・クルーパ、オスカー・ピーターソン、ベニー・カーター、エラ・フィッツジェラルドなどがいます。1952年にははルイ・アームストロングが初来日し公演を行いました。
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