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ゴルフのヘッドカバーを発明した日本人の残念な物語

モミジの葉っぱ

みなさんいかがお過ごしですか?ずいぶん空気がひんやりしてきましたね。散歩すると金木犀の香りが漂ってきて秋らしさを感じます。

ゴルフには良い季節です。ふっかふかの緑の絨毯の上を歩くのは気持ちいいものです。
日本の男子プロゴルフは秋になってから大きなトーナメントが続きます。ちょっとワクワクしています。
一流プロたちの妙技も楽しみですがヘッドカバーにも注目です。彼らは意外とヘッドカバーにこだわりがあることが分かります。

今日はゴルフのヘッドカバー、知られざるエピソードです。

ヘッドカバーを発明したのに特許を忘れて大損害

ゴルフの「ヘッドカバー」はゴルファーにとって必需品。
ヘッドカバーがないと大事なゴルフクラブのヘッド部分が傷だらけになってしまいます。

ヘッドカバーは急なお天気の変化やクラブの汚れを防ぐだけでなく、クラブの種類がパッと見で区別できるため、番手のミスが防ぐなどの安心感とともにプレーファーストにもなります。

最近のヘッドカバーは個性を表現するのに十分なカラフルでユニークなデザインの商品が増えました。素材もいろいろで選ぶ時からちょっと迷いますが、それもお楽しみの始まりという感じでしょうか。

上質1000Dナイロン使用 おしゃれで機能的なヘッドカバー

ゴルフのヘッドカバーの種類は、主に3種類

  • ソックスタイプ:伸縮性のある布製で、クラブのヘッドにぴったりとフィットします。軽量で取り外しやすく、クラブ同士の衝突音も抑えられます。デザインや色も豊富で、キャラクターや動物などの可愛らしいものもあります。
  • ボックスタイプ:硬質な素材で作られた箱状のカバーで、クラブのヘッドをしっかりと保護します。耐久性や防水性に優れていますが、重量があるため取り外しが面倒になることもあります。シンプルなデザインが多く、高級感があります。
  • マグネットタイプ:マグネットで開閉するタイプのカバーで、取り外しやすさと保護力を兼ね備えています。ソックスタイプよりも丈夫で、ボックスタイプよりも軽量です。デザインは様々で、レザーや合皮などの素材が使われます。

ヘッドカバーはこうして誕生した~日本人トリオ

ペンギンゴルファー

ゴルフのヘッドカバーを発明したのが日本人なんてね~、あまり知られていませんが事実なんですね。
そもそもゴルフのクラブは特許に溢れています。クラブだけではなくあまたのゴルフ用品に関する特許は数知れず、クラブを振るというより特許を振り回すという比喩がピッタリでしょう。

さて、ヘッドカバーを発明した日本人、特許を取れば今頃数億円?いやいや数百億円の”patent fee(特許料)”を手にしたはずですが、、、じつは1円も、1ドルも手にしていません。
このものすごい残念で悲しい顛末の物語です。

パテント料は数百億円以上か!?逃がした魚はクジラ並みかも

振り返ってみると、ヘッドカバーを発明した根底には「物を大事にする日本人の心」がありました。

ご登場いただくのはまず高畑誠一さんです。
明治維新というクーデターから天皇親政体制に転換を果たした日本は、その後凄まじい勢いで欧米列強の仲間入りを果たしました。

鈴木商店
⇧ 当時の鈴木商店の外観。1917年には当時のGNPの10%を売り上げた。(出典双日のサイト)

明治政府擁立からわずか44年後の大正年間になると、国内大手財閥系商社、あるいは中小の企業が世界中に商圏を広げていきます。
その中に神戸を拠点とする鈴木商店があり、入社間もない若き高畑誠一がいました。
この会社は樟脳・ハッカ・米・砂糖などを世界狭しと売っていたのです。

鈴木商店は海運業で成功し、高畑誠一はロンドン支店長として赴任した当時から功績をあげました。
「英国政府といえど一介の客に過ぎない」カイゼルと呼ばれた男こそ高畑誠一、これぞ商社マン。

この会社は不運にも関東大震災などで1927年に倒産しましたが、翌年には高畑ほか数人の有志で新たな日商(その後日商岩井から現・双日)を設立します。

ヘッドカバー

イギリスでゴルフに熱中、光り輝くゴルフクラブセットが手に

高畑誠一は現在の神戸大学を卒業して鈴木商店に入社し、25才になったころロンドンに飛びます。

高畑誠一
高畑誠一さん

異国の生活に慣れず体調不良になったころ知り合いに勧められゴルフを習います。高畑がゴルフにハマるまで時間はいりませんでした。
やがて高畑はロンドンの超一流ゴルフクラブ(アディントンクラブ)のメンバーになります。

夢中で楽しんでいるうち高畑に帰国の時が来ました。彼がどうしても日本に持ち帰りたかったのは、イギリス製の素晴らしいクラブでした。言葉にならないほど美しい光沢を放つパーシモンのクラブセットは、当時の日本では到底手に入りません。
ちなみにこのころ日本に存在したゴルフコースは3か所のみ(神戸ゴルフ倶楽部、横屋ゴルフアソシエーション、東京ゴルフ倶楽部)。

特注品を頼んで1か月、ついに完成して届いたクラブをほれぼれと眺めながら考えました。
船で日本まで運ぶ途中は粗雑に扱われることは間違いない。傷だらけになるだろうな~、なにか良いテはないものか・・・。

日本の総合商社『双日(Sojitz)』の公式サイト
双日(そうじつ)株式会社は自動車やプラント、エネルギーや金属資源、化学品、食料資源など、全世界で幅広くビジネスを展開している大手総合商社です。

高畑誠一に強力なサポーター現る

ロンドンの商社仲間で三井物産に勤務していた親友の渡辺英雄さんに「なにか良い方法はないかね?」と相談しました。

渡辺の妹のイサさんがその話を聞いて、私が毛糸の手編みで帽子のようなものを作ってみましょうという話になりました。

イサさんの編み上げたヘッドカバーは実に見事、サイズも理想的でした。

高畑がアディントンクラブでプレーするたびに仲間のメンバーがそのヘッドカバーを珍しそうに見に来て感心しました。
「What is it? Sounds good!」

高畑は帰国してからもゴルフの実力を発揮しました。日本アマチュア選手権や東西対抗の関西代表選手としてプレーした記録があります。

ちなみに、近代における特許制度はイタリアのヴェネツィアで1474年に成文化されています。その後イギリスでは1623年に「専売条約」に関わる独占権が認められています。ヘッドカバーの発明はそのず~っと後、1912年でした。

その頃のイギリスでは専売条約は「特許」と変わりすでに法整備ができていました。高畑の帰国後にクラブ仲間の一人がそそくさと申請し、アイディアをパクっていたことを彼は知りませんでした。

まなお
まなお

ちなみに、高畑誠一は1926年に発足した関西ゴルフユニオン(現・関西ゴルフ連盟)設立の中心的存在でした。またはじめて日本語版ルールブックを翻訳して出版したのよ。

それにしてももったいなかったねぇ~、損害額は計算不能!

外国人でも特許がとれたことを後から知りました。やり手の商社マンという肩書を持った彼は相当悔しかったでしょうね。

その後は皆さんご存知の通り、ヘッドカバーは一時的な流行ではありませんでした。
1920年代後半になるとヘッドカバーは一気に世界中に普及します。
いまや動物系の可愛いヘッドカバーをつけているプロゴルファーは山ほど。マグネット付きとかシャフトまで保護するもの、素材も様々でデザインもきれいになりましたね。

世界のゴルフ界に「ヘッドカバー」というコンセプト自体なかったことを考えると、イギリスにパテントを置き去りにして帰国してしまったことは日本全体の大きな損失だったかもしれません。

置き去りといえば車のトランクで横になったままのキャディーバッグ、クラブヘッドが傷つかないようじっと守っているのがあなたのヘッドカバーです。大事にしてくださいね。

ヘッドカバーを選ぶときには、自分のクラブのサイズや形に合っているか、素材やデザインが気に入っているか、価格や品質が納得できるかなどを考慮する必要があります。
また、ヘッドカバーは汗や雨などで汚れやすいため、定期的に洗濯や拭き掃除をしておくと長持ちします。

ヘッドカバーを選ぶときは、まずクラブのサイズや種類をチェックすることからはじめます。次に冒頭に書かれたソックスタイプ、ボックスタイプ、マグネットタイプなどからお好みのデザインを探したらいいでしょう。以下はほんの一例なので、クリックするとほかの種類がみられます。

オーサーのイラスト
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